望ちゃんは、僕が大学6年の秋。一度日本に帰ってきた。
帰国は唐突で、僕は望ちゃんの
「わしの部屋に来てくれ」
という電話でそれを知った。
「何いっているの。望ちゃんもいないのに行けるわけないでしょ」
僕は、望ちゃんが渡米してから一度も本棟に足を踏み入れていない。
「わし、帰ってきておる。今屋敷に着くところだから、後で部屋に来てくれ」
「え?」
「ちょっとな、事情があって、一時帰国じゃ。来てくれ、話がある」
僕が、父さんのところへ走って行くと、ちょうど父さんは、望ちゃんからの連絡を受けているところだった。
望ちゃんが、帰ってきたというので、お屋敷中、大騒ぎになった。
みんな、迎えに出た。僕も何事がおきたんだろうと思って、みんなの列の後ろの方に並んだ。
望ちゃんは、一人の女の子を連れてきていた。
年の頃は15,6か。
かわいい、望ちゃんにちょっと似た感じのある子だった。
「皆のもの、いきなりで、すまんな。この子は邑姜。わしの叔母じゃ。」
みんな、びっくりして、女の子を見た。
「今日から、ここに住む。こういう屋敷に住むのは初めてじゃ。みな頼むな。わしは、すぐにアメリカに帰らなきゃならんでの」
そうして、望ちゃんは、その子に屋敷の主立った者を紹介した。
僕のことは、
「わしの・・・・わしの幼なじみじゃ。執事の息子じゃ」
と紹介した。
その後、メイドに
「邑姜が眠る部屋を準備してくれ、南の客間がよかろう。わしの部屋も使えるようにしてくれ」
と言った。
準備が整うまでの間、その子を連れて、屋敷の中を案内に行ってしまった。
皆は、それを呆然と見送った。
皆、何事かと噂した。
叔母、と言った。望ちゃんのおばさんは、雲霄様たち三姉妹だけのはずだ。旦那様側に叔母さんはいない。
まして、あんな若い叔母さんがいるなんて聞いたこともない。
望ちゃんは、部屋の支度ができただろう頃合いを見計らうかの様に戻ってきた。
「準備できたかのう」
「はい、できております」
メイドが言うと、
「では、後は頼む。重ねて言うが邑姜は屋敷になれておらぬ。よろしくな」
そう言ってから、父さんを呼んで、書斎に消えていった。
僕たちは、玄関のホールで、父さんの帰りを待っていた。
しばらくして、父さんは帰ってくると
「邑姜様は、望様が仰ったとおり、望様の叔母様だ。元始天尊様のお嬢さまで、奥様とは腹違いの妹様ということになる」
この家で奥様と言ったら、今でも望ちゃんのお母さんの事だ。
「邑姜様はお母様を亡くされたばかりだ。ご親族皆様で話し合いの結果、当屋敷にお住まいいただくことになった。望様からは、わしの妹だと思うて接してくれ、との仰せだ。お母様を亡くさればかりで、お寂しいだろうし、心細いことと思われるので、その辺の配慮も頼むとも言ってらっしゃった。皆、しっかり頼むぞ」
その後、望様は明日早く出発だから、皆、早く休んで明日に備えるように父さんが言って、その場は解散となった。
僕も父さん達と一緒に使用人棟に戻って、自分の部屋に帰った。
帰るやいなや、電話が鳴った。誰からなんてわかりきった事。
でないでいると留守録に切り替わったが、すぐにまた、鳴る。
その繰り返しに、僕の方が根負けした。
このままだと、使用人棟に望ちゃんが乗り込んで来かねないと思った。
「何?」
なるべくつっけんどんに聞いた
「何じゃない。部屋に来てくれと言ったであろう。」
「行くなんて、言ってない」
「じゃあ、わしの方が行く。それでもいいのか」
「・・・わかった。行くから待ってて」
そうして、いつものごとく望ちゃんの思うまま。
部屋に行くと、いきなりキスされた。
画面越しには無かった望ちゃんのにおいにぼーっとなるのを感じながら、どうにか望ちゃんを引きはがす
「話って何?」
なるべく、素っ気なく言う。
一方、望ちゃんは喜色満面。
「聞いたか。わしの叔母じゃ。これで崑崙の跡取りはわしだけではのうなった」
「どういう意味」
「邑姜が跡をつげば、全て解決じゃ。わし、崑崙から離れられる」
「何、言っているの。あんな自分より若い女の子に全て押しつける気? 子供のころから英才教育を受けてきた望ちゃんとは違うんだよ。それに日本は、なんだかんだ言ったって男社会だよ。苦労の度合いが望ちゃんとは雲泥の差だよ。何考えているの」
「お主とのこと」
そう来たか、と思った。望ちゃんは時折思い出したように、この手の話題をふってくる。僕はそれをまともに取り合わなかった。決して言質をとられないように気をつけていた。
「わしとお主とのことを考えておる」
「・・・・」
「わしが、崑崙を離れたら、わしと来てくれるか」
「何、馬鹿なこと言っているの。さっきも言ったけど、あの子に全て押しつけるなんて駄目だよ。財閥で働いている人たちだって、望ちゃんがいなかったら困るよ」
「わしは、お主がいなければ困る。百歩譲って、崑崙には尽くそう。だが、跡取りのために結婚するのはごめんじゃ。だいたい、お主がいるのに結婚するなんて相手の女にも不実だとおもわんか」
「じゃあ、別れて」
「別れる、ということは、現在、わしら付き合っておるということでよいのだな」
それには答えず話題をそらした。
「だいたい、あの子、邑姜様はなんだってうちに来たの? 崑崙の本家の人たちはあの子を認めなかったってこと?」
「いや、連中は諸手を挙げて歓迎じゃ、本人が嫌がった」
望ちゃんの話を要約するとこうだ。
元始天尊様は、邑姜様のお母さんとつきあい始めた。元始天尊様は結婚する気満々だったらしい。ところが、邑姜様のお母さんは断った。崑崙財閥の総帥の妻なんてつとまらない。そんな気が休まらないところはいやだ、と。生活の援助も断った。
崑崙財閥の妻ともなれば、贅沢のし放題、意のままだ、それを嫌がった彼女は、意志が強かったのか、偏屈だったのか。それは謎のままだ。
一方の元始天尊様はそこまで言われて、結婚する勇気が出なかった。若いとき、占いを得意と自称する財界の人に、あなたの妻はみんな早死にする、と言われたのを気にしたのだ。
最初の妻である、公明さまや雲霄様三姉妹のお母さんは早くに病死した。二番目の妻、つまり、望ちゃんのお母さんの母親もやはり早くに病死した。
結婚して、邑姜様のお母様まで早死にしたら、と心配になったらしい。ただの迷信と思ってもどうしても踏み切れなかった。
邑姜様が生まれても、邑姜様のお母さんは、崑崙一族に入ることをよしとしなかった。それどころか娘への援助も断ろうとした。
しかし、そこは、元始天尊様が押し切った。娘の教育費の援助はさせてくれ、教育は邪魔にならぬ、と。
邑姜様のお母さんは、本当に教育費を教育費にだけ使ったらしい。親子はつましい生活で、邑姜様だけ高額の私立やお稽古事に通うというアンバランスさだったようだ。
邑姜様も年頃になって、何か変と気づいてはいた。自分に父親はいなくて貧乏だが、なぜか教育にかかるお金だけがどこかから湧いてくる、と。
そんな中、邑姜様のお母さんは、病に倒れた。具合が悪くて病院に行ったときには、余命3ヶ月の宣告をうける状況だった。
ここに来て、邑姜様のお母さんは方針を変えた。お母さんには親族はいなく、自分が死ねば、邑姜様が一人残されることに思い至ったらしい。
邑姜様に全てを話した。その一方で元始天尊様に連絡して、娘のことを頼んだ。
元始天尊様は、実質三人目の妻といえる人が、病に倒れたことにショックを受けながらも、娘のことは任せるように言った。そして、お母さんの治療を手厚くできるよう手配した。手配と言っても、できることはもうほとんど無く、邑姜様親子が最後の時を穏やかに過ごせるようにすることぐらいしかできなかったが。
ちなみに、三人の奥さんの病名はバラバラだ。が、ひどく衝撃を受けていた元始天尊様は、自分のせいでこの子は母親を失うのだと、後ろめたく思いながら、邑姜様と対面することとなり、非常に緊張してその場に臨んだ。
邑姜様は、邑姜様で、今まで全く姿を見せなかった父親に不信を抱いていた。
で、両者の対面は不調に終わった。
母親の死後、さすがに、父親の援助無しでは生活できないことがわかっていた邑姜様は援助をうけることは受け入れたが、一緒に暮らすことは断った。
母親の思い出のあるアパートに住み続けると言い張った。
が、邑姜様は、まだ高校一年生。同じ年で、一人暮らしをしている者もあろうが、仮にも、崑崙財閥の娘が、安普請のアパートに一人暮らしとはまずいと誰もが思った。不用心だ。
しかし、邑姜様の決意は変わらない。
そこで、望ちゃんが呼ばれることとなった。邑姜様の本心を見て欲しい。妥協点がどこにあるかさぐって欲しいというわけだ。
そんなことを望ちゃんに頼む大人達もどうかと思うが、それだけ望ちゃんが頼りにされているとも言えた。
で、妥協点が、望ちゃんの家ってことになったらしい。お母さんとのアパートはそのままにして、まずは、望ちゃんの留守宅で預かることで落ち着いた。
それは、つまり
「つまり、邑姜様は、崑崙財閥には関わりたくないって言ってるってことでしょ」
「今の時点ではの。だが、あやつには向上心がある。上昇志向と言っても良い。上昇志向は悪いことでは無いぞ、日本では悪く言う向きが多いが、大いに褒められる国もあると留学で知ったわ。それにあやつ公共心もある。崑崙財閥の力でどれほどのことができるか思いいたれば、きっと財閥の一員になることを良しとするに違いない」
ちなみ望ちゃんは、ビジネススクールでグループ討論会の準備中、呼び出された。至急戻ってこい、と。最初の電話から向こうの空港に着くまで、ずっと元始天尊様はしゃべり続け、日本の空港に降り立つやいなや雲霄様から電話がなり、崑崙本家のお屋敷に着くまで、電話を切らしてもらえなかった。
「それで、お主に帰ってくると知らせられなかった。すまぬ」
知らされていたら、屋敷から逃げ出していたはずだ。望ちゃんはわざと連絡しなかったんじゃないかって、気がする。
「それでのう。わしトンボ帰りじゃ。グループ討論会は今期の成績に大いに関わるし、わしがいないとグループの皆に迷惑をかける」
「じゃあ、もう寝なきゃ」
「わしの体内時計は、向こうのままじゃ。だから今は昼。眠くない」
「眠くなくても寝ないと。長旅で疲れているよね。明日も長時間フライトでしょ」
「飛行機で、寝れば良い」
そう言いながら、抱きしめられる。そうされると、もう逆らえなかった。望ちゃんの匂いに包まれて、体から力が抜ける。
後は、望ちゃんのなすがまま。
留学前と同じ展開だ。
した後、望ちゃんは気持ち良く寝てしまった。
僕は眠れない。今度こそ、これで最後だと思った。
卒業したら、僕はこの家を離れて就職する。望ちゃんが留学して、この屋敷にいない間に、離れてしまうつもりだった。
だから、最初、望ちゃんが留学で出発する前の晩こそ、最後だと思っていた。そう思うほど、その晩はいよいよ乱れた。
僕の痴態に望ちゃんは嬉しそうだった。
「普賢がこんなに感じてくれるなら、離れてみるのも悪くない」
とまで言った。
望ちゃんから離れなきゃ、と思いながらできずに、週末のテレビ電話をする日々だった。
今日だって、顔を合わせたら駄目だと思いながら、望ちゃんを迎える皆の中に混じってしまった。
呼ばれたら、つっけんどんにしながら結局、来てしまった。
今度こそ、最後にしなきゃ。
望ちゃんの寝顔を見ながら、これでこの寝顔も最後だと、見納めだと、自分に言い聞かせていた。
望ちゃんが、再び渡米してから、僕はテレビ電話に出なくなった。
卒業試験が大変で忙しい、と僕はメールを送った。望ちゃんがなんと言ってきても頑として受け付けなかった。電話には出ず、メールでのみ応答した。声を聞いたら駄目だ。口のうまさでは望ちゃんに敵わない。
そのうち、理由は国家試験の準備で大変、に変わった。
もちろん、どちらも言い訳、特に国家試験はね。国家試験より卒業試験の方が、学校のお偉いさんが、自分の専門の重箱の隅をつつく問題を作ってきて難しかった。
それに比べれば、国家試験、通称国試は楽だった。きちんと勉強していれば受かる試験だ。もちろん、勉強する量は膨大だが、珍問・奇問は少ない。弁護士さんの試験と違って、定員もないので、きちんと勉強して一定の点数を取ればいい試験だ。
僕は予定通り、国試を一回で合格し、就職し家を出た。