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 普賢は、結局、元始天尊の直弟子ということになった。
 物理学を教えるのに最も適任なのは自分、という格好の理由があった。
 竜吉公主のところに預けるという計画を、阻止できたのは幸いだった。

 しかも、もう一つの計画を目立たず実行するための隠れ蓑とすることもできた。

太公望の引き取りである。
 奴隷をとらえるための殷の旅団は、普賢の入山から遡ること3ヶ月前に、呂望のいる姜族の邑を含む地方へ向けて、朝歌を出発していた。

 王奕の魂魄を入れた呂望こと、太公望は、封神計画には欠かせない。

 一方で、計画の首謀者が実行者でもあるこの計略を、気づかれてもならない。

 元始天尊直々のスカウトとなれば、どうしても耳目を引く。
 しかしながら、普賢の存在のインパクトが強すぎた。同時期にスカウトしたもう一人の少年、すなわち太公望の入山はほとんど注目を集めずにすんだのだ

 太公望がやってきたのは、普賢が引き取られてから約半年後だった。

 太公望には、普賢と初めて会ったときの記憶は無い。気づいたら、望ちゃん、普賢と呼び合っていた。有り体に言えば、崑崙に来た当初の記憶、その全てが曖昧だ。

 一族を失い、悲しみと憎しみの中、食べることも眠ることもなく、逃げ続けた日々の直後であった。崑崙のあまりに穏やかな風景にすんなりとけ込めるはずもなく、呆然としていた。

 日々の輪郭がしっかりしてくる頃には、そばに普賢という名の少し年長の少年がいて、いろいろと世話を焼いてくれていた。
 押しつけがましくない親しさでそばにいてくれた。
 何より、一人になりたいとき、察したように、いつの間にか姿を消してしまう。それがありがたかった。一人で考える時間を望は必要としていた。

 「望ちゃん、今日は太乙真人様のところだよ。早く早く」
 「ウーム、あやつの講義はちとマニアックではないか?」
「望ちゃんが、ついて行けないだけじゃない。僕は好きだよ」

 半年とはいえ、先に崑崙に来ていた普賢の方が、当初の学習の進みは早かったが、最初の困惑の時期を脱すると、望の進歩には目覚ましいものがあった。すぐに普賢に追いつき、いい学友になった。

 元始天尊曰く、
「太公望には目的がある。全てはそのため、と必死に食らいついておる。目標を持った者ほど、なんであれ上達していくものよ。」

 仙道のいない人間界。それを目指して、太公望は、己の力を磨くべく必死であった。身体や武技も鍛える必要があると考えた彼は、積極的に全ての十二仙に教えを請いに行くことになる。
 普賢もそれについていく形で、一緒に出かけていったが、こちらは意欲と志向の問題で、基礎鍛錬以降は、全くの見学者となってしまった。

 望が道徳真人の元で、「スポーツ」をしている間。普賢は、そばの岩の上でなにやら、太乙真人にもらった小型精密算尺を用いて、物理学上の難問とむきあっていた。

 時には、その算尺を用いて、

 「望ちゃん、昨日より、早くなっているよ。コンマ五秒くらい」
「なんじゃ、そのコンマ五秒と言うのは。どれくらいの早さなのかのう」
「えっと、このくらい?」
「ちっとも早くなっとらんと、いうことか」
「そんなことないよ。確かに早くなっているってことだよ。ただ、初速は昨日の方がよかったみたい。最初の飛び出しの姿勢、変えたでしょ。戻してみたらどう? で、途中からは今日の走法にしてやってみたら?」

 だいたい何をするにもこの調子であった。
 例外は、太乙真人と道行の祠である。
 この二人のところでは、普賢の方が積極的で、怪しげな実験に助手として参加したり、料理にいそしんでいた。太公望は、もっばら、実験が失敗したときの消火役と、失敗、成功にかかわらず、普賢の作った料理の消化役の二つに徹していた。

 尚、全ての十二仙と書いたが、一人例外がいた。玉鼎真人である。彼は、太公望に教える事を拒否した。少なくとも、自分の洞では。

 「たのもー」
初めて、太公望が教えを請うために、玉鼎真人のところを訪れたときのことだ。玉鼎は、太公望の後ろに普賢の姿を認めて、ぎょっとした。

 別に普賢の前職に嫌悪の情があるわけでは無かった。
 が、彼はなにしろヨウゼンが一番であった。ヨウゼンに万一のことがあってはならない。
 第一に、洞内では、半妖体でくつろいでいることもあるヨウゼンの姿を見られる様なことがあってもならない。いかに二人が元始天尊の直弟子であろうと、ヨウゼンの安全は最優先事項である。自分が断っても、元始天尊は理解を示すはずだ。うん、断ろう。

 「あー、なんだ。私は、ヨウゼンの指導で、手が空いておらぬ」
「しかし、ヨウゼンとは、天才と名高い道士であろう。それにわれらよりもよっぽど年上だ。我らは初心者。ヨウゼンの片手間の慰みでよろしいので、お教え願いたい」
「剣の道は、片手間でやるものではない!!」
「では、きちんと教えるのが筋ということになりましょうな。この崑崙でおぬし以上の剣技の持ち主はいないと聞いておりまする。何事もはじめが肝心。わしは玉鼎殿に剣を習いたい」
「この洞の周囲は、ヨウゼンの修行場だ。天才と言ってくれるのは嬉しいが、ヨウゼンはまだまだ未熟。力の制御に安定を欠いておる。ここで、そなたに教えている時に、流れコウテンケンもとい流れ玉に当たって怪我をしたりまして命にかかわることになったら、元始天尊様に申し開きがたたぬ」
 我ながら、上手い言い訳だと、玉鼎は思った。年若い少年ながら、ああいえば、こういう、といった形で返してくる太公望の口の上手さに驚きつつ、形勢の不利を感じていていたが、これならば、追い返せると思った。

 甘かった。
 「ならば、他の場所でならいいのですな。そうだのう、元始天尊様のところに玉鼎殿が来たときに、われらに剣を教えて下さるというのは、どうであろう。」
「あー、なんだ。剣の修行は結構、声も多く出すものだ。騒がしくしては、元始天尊様が迷惑であろう。崑崙の教主として、お忙しいのだから」
「あ、それなら、大丈夫です。」
 ここまで黙っていた普賢が口を挟んだ。
「僕たち、普段からうるさくして怒られてますから。本当にうるさいと思ったときは、元始天尊様、盤古幡の重力波を使って、音、遮断してらっしゃいますし」
「普賢の言うとおり、元始天尊様は全く気にしないでありましょう」
「ちょっと望ちゃん、一応、断った方がいいんじゃないの」
「それもそうだの。玉鼎殿、元始天尊様には、われらからお願いしておきます故、次回おいでになったときから、ぜひ、ご教授いただけないであろうか」

 勝負あった。


 十二仙からの教授、という贅沢な環境の中、二人は、目覚ましい勢いで伸びていった。
 修行の合間に、遊び、いたずらもし、少年二人は、その生活を楽しんだ。

 
 「本当に二人は仲良しでちゅねぇ。よきライバルってとこでちゅか」
 それは 道行のところで、料理実習で(主に普賢が)作った桃マンを食べながら会話していた時のことである。
 「えー、ライバル? 僕と望ちゃんが?」
 「わしら、なんのライバルなのだ?」

 「十二仙昇格のでちゅよ」
 「その十二仙だが、なぜ、十二仙というのだ。11人しかいないではないか」
「燃燈がいなくなってから、ずっと空席なんでちゅ。」
「何故、その燃燈なる者はいなくなったのだ」
「それは、・・・・言えまちぇん。僕の口からはいえまちぇん。元始天尊様とケンカして、死んじゃったなんていえまちぇん」
「(言っておるではないか)では、その燃燈がいなくなったのは、いつのことなのだ」
「ホント、太公望はなんでも知りたがりでちゅね。」
「いろいろ、知っておいて損はなかろう。で、いつなのだ。最近ではなかろう」
「そろそろ500年でちゅかねぇ。元始天尊様と戦って、地上に落下していく燃燈を見たのが、昨日のことの様でちゅ」

 出た!仙人時間。この時間感覚のズレが、しばしば太公望をいらいらさせる。

「ふむ、以降、だれも昇格した者がおらぬのか」
太公望は、崑崙の人材不足を感じた。この長い年月、末席ですら、十二仙の席を埋める者が無く、しかも、崑崙に来て間もない二人が、茶席の軽口とは言え、十二仙候補としてあがるとは。

「じゃぁ、頑張ったら、十二仙になれるかもしれないんだ。望ちゃん、よかったね」
「良かったねって、わしかお主かという話なんだぞ」
「別に僕、十二仙どころか仙人にならなくてもいいもの。崑崙にいたら、好きなだけ学べるし計算できるし、道士で十分だよ」
「いつまでも道士ってわけには、いかぬだろう」
「でも、ずっと道士でもいいはずだよ。道士でも宝貝はもらえるし、仙人になれなくても、追い出されたりしないはずだよ。そうですよね、道行様」
「うん、それは、そうなんでちゅ。でも、いつまでも仙人になれないと、みんなそのうち、出ていっちゃいます。いづらいみたいでちゅ」

(そうなんだ、別にいてもいいと思うのに。)

「それでは、頑張らねばならぬのう。普賢、正々堂々勝負だぞ」
「って、望ちゃん、仙人になるだけなら、人数制限は無いよ。勝負する必要ないじゃない。それに十二仙になる必要があるのは望ちゃんでしょ。僕じゃないよ」
「必要、わしが?」
「十二仙になったら、いろいろな事ができるようになるよ。それは望ちゃんに必要なことなんじゃない?」


 驚いた。それは、まさに太公望が考えていた事だった。十二仙になれば、その権威は絶大だ。制約の多くが緩和される。人間界に行くことも思うままだ。
 仙道のいない世界。それには、まず仙道として、確たる地位を築くことだ、とこの頃の太公望は考えていた。
 それを見透かされたかのようだった。

 考えて見れば、太公望は、普賢のことをあまり知らなかった。自分より、少し先に元始天尊の所に来た同期生。その程度の感覚だった。二人でいても、語ることが多いのは自分の方で、普賢は聞いていることが多かった。
 町で育ったと言っていた。だからなのか、姜族の暮らしぶりをよく聞きたがった。羊の飼い方、移動の方法、住居のつくり、何でも何度でも話した。とりわけ、望の父母や、兄弟、一族に関する話題を好んだ。

 最初は、苦痛と悲しみを多く感じる話題であったが、普賢に語るうちにそれらを上回って、幸せの感覚や、慕わしさといった暖かい感情がよみがえってきた。今では、あの暮らしを思い出して、最初に感じるのは、懐かしさで、その後に苦い思いがやってくる。今はまだ、どちらも同じ強さで感じているが、語るうちに、その苦さが消えそうで、時折、太公望は怖くなることがあった。

 いつかの時に備えて、仙人界の情報収集を欠かさない太公望であったが、普賢に関しては、その矛先が全く向けられていなかった。いつの間にか自分の隣にいた存在。あるがまま、そこに存在していて、全く何の違和感もなかった。
 この無関心ともとれる態度は、普賢を計画の外に置いておきたい、という無意識の表れだったのかもしれない、太公望こと伏羲は、やがてそう自らを振り返ることになる。










 さて、崑崙に来るとき、普賢は元始天尊と約束をしていた。

 「男と寝ない。誘わない」
である。

 実も蓋もない言いようだった。

 普賢から、反論がくるかと予想していた元始天尊だったが
「はい」
と、こくんと素直に頷かれて、拍子抜けした。わかっていないのか。それとも口先だけなのか。

「本当にわかっておるのか。閨事を欠かしたことがないそなたであろう。苦しくなることもあるかもしれん。だが、これも修練だ。まして、道士、仙人は、色の道に走ると、己を見失うことが多い。他の者のためにも身を慎むように」

 「えーと、そのしなかった日が、二日以上続いたことが無いので、その状態がどういうものかわかりません。だから、そういうことあるんですか? あるなら、そちらの方はお約束できないかも」
「誘わない、というのは大丈夫です。今までも『誘った』ことは無いので、どうしたらいいかわかりませんから」

 頭を抱える元始天尊だったが、本人は至ってまじめであった。とにかく、自分の洞にいれば、監視も行き届くし、不埒者もそうくるまい。
 いずれにしても、人間界においておくのはまずい。

 「では、その言葉忘れるでないぞ。そなただけの問題ではない。他の者の修行の邪魔をしてはいかん。重ねて言うが、身を慎むように。よいな」


 結局、約束は、わずか三ヶ月後に破られた。

 そもそも、事の始まりは燃燈の発言であった、と元始天尊は思う。
 「毎日、姉上を家庭教師に通わせるとは何事ですか!!」

 普賢が来て、一ヶ月。元始天尊は、普賢に崑崙のしきたりをはじめ、普賢が学びたがっていた学問の基礎を教えていた。崑崙の教主が異例のことである。しかしながら、大変情けないことに、自分の門人の誰をあてても不適当な事が起きそうな予感がして、どうにも、自ら当たるしかなかった。鶴の妖孼の白鶴でさえ大丈夫という気がしない。
 もちろん元始天尊はとても忙しい。特に太公望を無事に仙人界にスカウトしなければいけない、という非常に難しい事態が間近に迫っていた。

 正直、普賢に関わっている場合では無かった。この先、普賢の学問が進めば、おそらく自分で無ければならぬ領域に踏み込んでくるであろうが、今のところは基礎の基礎。正直、誰が当たってもいいのだが、その実、誰でも良くはない。

 そんな元始天尊の元へ、竜吉公主が訪ねてきた。自身の庭でとれた水桃を届けに来たのである。
 彼女を見た瞬間、これだ、と元始天尊は思った。
 そもそも、普賢は竜吉公主のところへ預けるはずだったのを、元始天尊が引き受けたのである。公主も、普賢の教育に何らかの形で関わるべきだ、そう思った。

 「よう来た、公主。ところで、今度わしの所にきた普賢にはまだ会っていないであろう。いま呼ぶから、少し、待っておれ」

 「初めまして、普賢と申します。このたび、崑崙に来ました。よろしくお願いいたします」
「竜吉と申す」
 普賢はニコニコと笑って、竜吉公主を見上げた。邪気の無い顔であった。崑崙来たばかりの男どもの多くは、仙人骨が在るとはいえ、竜吉の超お嬢様という素性と美貌も合わさって、竜吉の顔をみるとどうしても俗っ気がでた。それが普賢には無かった。

 まだ、子供なのじゃな。

「どうじゃ、公主。たまには、仙人らしい活動をしてみぬか。洞にこもりっきりでは良くない。すこし、他者と関わった方がいいと前に申したであろう。正直、わしは、忙しくて、普賢の教育が十分にできん。他のモノも、いま修行に出ていての。普賢に少し、物を教えてやってくれぬか。何、仙人界の成り立ちとか仕組みとか、そう言った事を教えてやればいいのだ」
「何も私でなくとも、良いのではないか」
「そう言って、いつも逃げておるのは良くないのではないか(お主でなければ困るのじゃ)。他者に教えることで、自分も成長するのじゃ」
「しかしのう。いや、普賢とやら、お主のことが嫌なのでは無いぞ。じゃが、」

 普賢が申し訳なさそうな顔をするのに気づいた公主は、我知らず、言い訳をする。
 この隙をつく形で、立て板に水の勢いの言葉を並べ、元始天尊は押し切った。見る者が見れば、太公望の口の上手さは、師匠譲りと言っただろう。
 
 事情を説明すれば、おとなしく引き受けてくれたであろうが、超お嬢様の彼女に、その事情とやらを説明する勇気は、さすがの元始天尊にも無かった。

 そんな訳で、家庭教師に、毎日竜吉公主が来てくれることになった。破格の事である。

 この破格の扱いに異議を唱えたのが、燃燈ー現在、死人扱い、極秘プロジェクト実行中—である。
 「姉上に毎日、ご足労させるとは何事だ。姉上の細い御み足に触るではないか!!」
「しーっ。そなた何をしに来た。そんなに大声を出すな。誰かに聞こえたらどうする」
 「聞こえたから、なんです。それより、姉上に『家庭教師』をさせるなどとは!」

 完全にトチ狂っていた。こんな事で、封神計画は成功するのだろうか。一番使えそうな燃燈がこの始末で、どうなるのか。

 「だが、竜吉以上に、あれに教えを垂れるのにふさわしい者がおるか。」
「姉上は、もちろん、すばらしい方だ。姉上以上に素晴らしい者などおられましょうか。姉上以上の仙人などいようか。」
 話がそれている。しかも、崑崙教主のわしの前で、その台詞をいうのか?
「姉上に教えを賜れば、あの者の仙人界での第一歩は素晴らしいのものになるでしょう。仙人としてこれ以上の誉れがありましょうか。」
「そうじゃ、そうじゃ、あのものには、いや、あのものにこそ竜吉の薫陶が必要じゃ」
「そうです」
「それにの、竜吉も楽しんでおる。なにやら、弟ができたようだと申しておった」
「弟ですと!! 私という弟がありながら!!」

 普賢の振る舞い、うんぬんより、わしは、おまえの素行の方がよっぽど不安だわい。

「落ち着け、落ち着くのじゃ。そなたとはあまりに違うと、しかし、それ故、返ってそなたの事が思い出されてならぬ、と。寂しそうであったぞ。あー、どうじゃ、竜吉に顔を見せては。そなたがいなくなって以来、長く鬱いでおった。普賢に教えることで、少し気が紛れているようだが、やはり、そなたが顔を見せるのが一番ではないか。」

 もういっそ、竜吉と燃燈を会わせた方がいいのではと思った元始天尊だった。その方が封神計画成功の確率が高そうだ。

 「いや、それはできません。男が一度決めたことを途中で翻してはなりません。そのようなことをしては姉上に軽蔑される」

 はぁ、もういい加減にしてくれ。

「それでは、竜吉の無聊はなぐさめられぬぞ」
「うー、本当にその者、大丈夫なんでしょうな。」
「それほど、竜吉が信じられぬか?」
「姉上は完璧です!! そのような者に迷うなどあり得ません」
「では、いいではないか」
「しかしですね。ここに通う途中で何かあったら、どうしますか!!」
「ここは、崑崙一の高級住宅街で、竜吉の住まいは目と鼻の先じゃ、それにお主の姉に手を出す命知らずはこのあたりにはおらん。本人に溺死させられるわ」
「それはそうです。しかしー、姉様がご足労するなど、とんでもない。教えを請う身が行くべきでしょう!!」
「あー、そうじゃのう。よし、普賢を竜吉の方に通わせよう。教えを請うのだから行かねばならんな、確かに。そうお主が申したのだぞ。よいな、それで」

 そのようなやりとりの果て、普賢が竜吉の家に通うことになったのである。

 事件が起きたのは。それから二十日ほど後、普賢が仙人界に来てから、三ヶ月ほど経過した日のことであった。


 それは、竜吉公主の洞房からの帰りのことであった。

 竜吉の鳳凰山から、元始天尊の玉虚宮までは、浮き石で作られた路があって、人が一人立てる程度のその上を飛び移っていくと、行き来できるようになっていた。高級住宅街は、その浮き石で結ばれているのである。

 その途中の浮き石の一つの上に男がいた。
 あー、人がいる。と思ったが、修行を始めたばかりの普賢には、他の路を選びようも無い。相手がよけてくれるといいんだけど、と思いながら、狭い石の上をそちらへ進んでいった。

 隣り合った浮き石まで来たところで、ハタと止まってしまった。
 相手が一向、よける気配が無いのである。

 「こんにちは」
とりあえず、挨拶をしてみる。
「すいません。僕、まだ、来たばかりで、こういう時どうしたらいいんでしょうか?」
「おまえが普賢か?」

 絞り出すような声が男から漏れた。

「はい。そうです。えーとあなたは?」
「おれは、おれは・・頼む!! 全て忘れさせてくれ!!」
「???」
「お願いだ、頼む」
「あの、何のことでしょう?」

男が、顔を上げて、普賢の方にすさまじい形相で迫ってきたと気づいた時には、既に後ろに突き飛ばされる形で、石の上から落下していた。

 
 落下した先は草原だった。ずいぶんな高さを落ちたと思ったのに生きてる。身体も痛くないし、あー、仙人界って、すごいなぁ、とそこまでのんきに考えて、ようやく、自らの上に男が身体の上にのしかかって、衣服を剥ごうとしているのに気づいた。
 そして、この行為の行き着く先が、元始天尊に禁じられたものだったということにも気づいた。

 「ちょっ、ちょっと待って」
男は乱暴に上衣を裂くと、下穿きに手をかけた。
「待って。駄目だってば、ちょっと待って」
男を引きはがしにかかった普賢の反撃に、男はかっとなったらしい。
顔に一撃、張り手が飛んだ。

 その衝撃はすごかったが、ここで、あきらめるわけにはいかない。元始天尊と約束したのだ。約束は守らなければ。男の下から出ようともがきながら、
「駄目ですってば」
ぐいっと男を押し返した。

その瞬間、男の形相がなおいっそう醜く変わった。
「ちきしょうー。おまえまでおまえまで、そういうのか。ちきしょうー」
頸に男の両手がかかってきた。

 あっ。




 
 殺してしまった。そう思った。普賢の抵抗が止まったからだ。

 男はあわてた。

 殺す気なんか無かった。
 ただ癒されたかった。それだけだ。

 男は、道士としては、落ちこぼれだった。自分では認めたくなかったが、落ちこぼれだった。努力しても努力しても、その実の結ぶ日の遠さに耐えられず、いつしか努力も放棄し、後から来た弟弟子が何人も自分の抜いていくのを横目でみていた。。
 それでも、いつかは宝貝を手にし仙人になるという夢が捨てられず、そして、今更人間界の故郷へおめおめと帰ることもできずにいた。

 自分と同じ境遇にいて、あいつも仲間だと思っていた道士が、数年前、崑崙から去った。去る前に彼の所にきたその道士の晴れやかな顔は忘れない。初めてみる表情だった。

 「どうして、そんな風にあきらめられるんだ。どうして」 

 答えず去っていった道士を恨めしく思った。しばらくして、その道士が、去る前に人間界の遊郭に出入りしていたという話が伝わって来た。他にも同じ形で、仙人界を去った者がいるという話も。いずれも何らかの迷いを持っていた者たちで、彼らの何人かを、男は知っていた。あいつらはおれの仲間だ、と勝手に思っていた者たちだった。

 そして、それらの者たちが仙人界を去る直前、通い詰めた相手こそ、先頃、元始天尊の所にきた少年だと、噂が流れた。
 そして、先日、また、弟弟子に抜かれた。

 誰か助けてくれ。おれを、助けてくれ。
 すがる思いで、待ち伏せしたのである。

 駄目と言われて、カッとした。他の男たちは良くておれは駄目なのか。おれはあの負け犬たちにも劣るのか!!

 でも、殺すつもりなんて無かった。

 うなだれて、それでも普賢の上から動けずにいると、背中に触れてくるものがあった。
 普賢の手が、男の背中にまわされていた。優しくなでている。

 思わず顔を上げると、その紫の瞳と目があった。

「そんなにしたいの?」
「あ、ああ。」
「・・・・・・、ん、わかった、・・・・いいよ」

 背中の手の片方が、男の腰のあたりを柔らかくなでる。もう一方の手が、首筋にあてられる。泣きたくなるほどの優しさで、同時に官能的だった。







 普賢がいなくなっているのに、最初に気づいたのは、竜吉公主であった。

 翌日の授業の時間になっても普賢がやってこない。これが、いなくなった自分の弟燃燈ならば、どこかで道草を食っているのだろうと、今しばらく待ったであろう。しかし、この何週間かで、普賢は至極真面目で、理由もなく人待たせるような事はしないと、公主にはわかっていた。

 公主は、仙人時間ではものを考えないタイプであった。従って、時間までに普賢が現れないと、ひどく心配し始めた。
 途中の路で怪我をしたのではないか。足を踏み外して落ちたりしたのではないか。病というのは、仙人界ではあり得なかったので、仙人界育ちで純粋培養の竜吉公主はそのような可能性は最初から排除した。

 元始天尊の玉虚宮からの路を、迎えに出た。残念ながら、誰にも出会う事無く、そして、普賢の痕跡も発見できず、元始天尊のところまで来てしまった。

 玉虚宮まで来たものの、元始天尊は不在であった。それを告げてくれた白鶴童子に普賢はいつ洞を出たのだと聞くと、今朝は見ていないという。それなら、昨日はいつ頃帰ってきたのだと、いうと、それもはっきりしない。白鶴は今朝方、使いに行った先から返ってきたばかりであった。
 門下一同、仲良く寝食をともにする一門もあったが、元始天尊の所は、それぞれの自主性を重んじるというか、ようするに、個人主義であった。

 「つまり、夕べ普賢が帰ってきたかどうかもようわからぬと、いうことか」
 「申し訳ありません。一応、みんなに聞いたんですが、昨夕普賢を見た者はおりませんでした」

 「むぅ。お主、元始天尊にこのことを伝えよ。私は、普賢を探しに行く」






 その頃普賢は、まだ、あの草原にいた。一人ではなく、あの男が一緒だ。
 男の望むまま、あの後、何度も身体をつないだ。

 男は最初、夢中になって普賢にのめり込んだ。その優しい手とまなざしと吐息が包まれながら、自分の楔を何度も何度も普賢の中に埋めた。全てを忘れさせてくれる肌だった。この中にいれば、全てのしがらみは遠い世界のことだった。たまらなかった。

 それでも、やがて、果てはやってくる。男の息が上がってからも、普賢の手は優しく男にふれていた。頭を優しく抱え込まれ、その薄い胸に引き寄せられる。柔らかく抱きしめられて、気づいた時には泣いている己がそこにいた。

 やがて、男は語り始める。仙人にスカウトされたときのこと。人間界での自分。仙人界に来た時の喜び、やがて味わった挫折。気の向くまま、語った。
 普賢は相づちを打ったり、時々問い返したりしながら聞いていた。

 かつて、育った遊郭で、多くの者たちにしてきたように。


 朝が来る頃には、男から獣じみた気配は去っていた。

 「本当にすまなかった。殴る気はなくて、すまん。この跡は数日で消えるとおもうが、」
「大丈夫。お店にもそういう趣味の人は良く来ていたから。ただ、跡が残ることはあまりなくて。やっぱり仙人界の人だと違うんだね」
「いや、本当にすまん。いや、その寒くないか。背中、葉っぱでこすれて痛いのではないか。わしの上着で良かったら、この上に座ってくれ。」

 むしろおろおろしていた。

 そこへ、竜吉公主がやってきたのである。

 おそらく路の上から普賢は落ちたのであろう、と考えた彼女は、路となっている浮き石の下の空間を浮遊し、普賢を探索していた。

 そして、普賢とその隣にいる男を発見したのである。
 普賢の姿を認めるやいなや、その場に急行した彼女は、二人が身に何もまとっていないことに近くまで来てようやく気づいた。その事実は、超お嬢様の彼女をひどく困惑させたが、普賢の顔についた殴られたとおぼしき痣を見つけるやいなや、怒りを爆発させた。

 「この痴れ者めが!!」
公主の宝貝が、男に向かって、水のするどい鞭となり飛んでいった。もちろん男に防ぐ術も暇もなく、吹き飛ばされる。

 「年端もいかぬ子供になんということを。恥を知れ」
水の固まりが男の頭部を取り囲んで、男は窒息寸前だ。

「待って、公主。待ってってば」
普賢が必死に叫んでいるが、彼女の耳に入る気配はない。
どうしよーと思ったところへ、今度は元始天尊がやってきた。


 白鶴童子から、普賢の行方がしれないと聞いた元始天尊は、千里眼を使って普賢を探し、即座に発見した。もちろん、その横の全裸の男も。そして、その二人の元へ近づいていく竜吉公主も。

 いかん、と、黄巾力士に乗って、飛んできたのである。

 その場に着くや、否や、盤古幡の重力波で男の周りの水を地面に落下させた。
「元始天尊、何故、邪魔だてする。こやつはのう」
「まて、公主、殺しはいかん。殺しは。仙道に殺しは御法度じゃ」

「しかしじゃ!」
「公主、待って。僕なら大丈夫ですから。」
「当の本人がこのように申しておる」

「しかし。」

未だ、怒りの収まらぬ竜吉公主であったが、元始天尊に実力行使で来られてはどうしようもない。ひとまず、宝貝を男の周りから引き上げた

「さて、普賢。これは、どういうことか説明してもらおうかのう。男と寝てはならんと申したはずだが」
「はい、確かにお約束しました。そのお約束を破ってしまいました。覚悟はできています。ただ、あの、仙人界からの帰り道がわかりません。それは、教えていただけますか?」

 覚悟は立派だ。
 帰り道を聞くあたり、しっかりしているとも言える。が、あっさりしすぎだ。馬鹿者、仙人界に未練はないのか? その顔の痣ゆえ、同意の上では無かったことは明白だが、さりとて、崑崙の教主がおいそれと約束を違えた者を許しては、示しがつかない。

 「お。お待ち下さい。」
ふるえる声が割って入った。竜吉公主の水攻めから解放された道士である。元始天尊、竜吉公主と、並の道士には、まさしく雲の上の人が目の前にいて、声がうわずっている。
 元始天尊と竜吉公主に厳しい視線を向けられてさらに震え上がった。

が、息を一息飲み込んで、
 「その、今回の事態は、全て、この不肖な自分の引き起こしたことでございます。どうか、彼をお咎めなさいませんように平に、平にお願い申し上げます。責めはすべてこの自分にどうかお願いいたします」

 「当たり前じゃ、この愚か者が。普賢に何の咎があろう。元始天尊、そうであろう。」
竜吉公主が言い放つ。
 元始天尊の方は、やや複雑な気持ちであった。千里眼の持ち主だ。崑崙でやっかいの種になりそうな事は見逃すはずがない。この男の事も元始天尊は知っていた。こんな気骨のある物言いのできる男では無かったはずだ。
 「もちろん、お主の方はそれ相応の処罰をうけてもらう」
 普賢の方に声をかけた
「むー、普賢、お主、抵抗はしたのであろう。あー、いや、いい、何も言うな、その顔をみればわかる。ならば、今回は」
 許すと、続けようとした。この問題のありそうな男を崑崙からふるい落とす良い口実をもらったと思った。この調子なら男の方もすんなり受け入れそうだ。そこへ普賢が言葉を挟んできた
「殴られたのは、最初だけですし、僕もいいと言いました。お約束を破ったのは事実です。ごめんなさい。僕のことはいいので、その方は、修行を続けさせてあげてください。すごく修行したがってらっしゃるんです」

 「普賢・・・さま」
男から、絞り出すような声が漏れた。夕べ肌を与えてくださっただけではなく、こうして、許し、かばって下さるのか。
 とっさに、元始天尊の前に、平伏した。
 「どうかどうか、この方をお咎めにならぬよう、重ねて申し上げます。私のこの身で償えることがあるとするば、いたします。どうかどうか」



 結局、男は、崑崙を去ることになった。普賢が処罰されなかったことを男は喜び、改めて非礼を詫びて去っていった。憑きものが落ちたかのような晴れやかさであった。

 そう、普賢は処罰されなかった。
 お小言はもらった。
 「泣き落としに負けるでない。もちっとしっかり拒まぬか。あの男の様子なら、お主がきちんと話せば、途中でやめたのではないか。受け入れるばかりが優しさではないぞ、時には、突き放すことも大事なのじゃ」

 もっとも、これには、竜吉公主から激しく抗議が入った。
「この件に関しては、普賢は被害者なのだぞ。死ぬまで抵抗せよというのか。幸い、あの男は改心したようだが、それは結果論に過ぎぬ。道義や信念のための戦いとは違うのだぞ」

 そう言って、公主は、やはり自分が家庭教師に通うことにする、と宣言した。しかし、これは普賢の方が断った。

 公主の申し出はありがたかったが、幸い大きな怪我もなかった。これで外に出られなくなるのは残念だった。途中の道すがら、仙人界を眺めることを、彼は大層気に入っており、公主のところへの外出は、今のところ唯一許された外出の理由だったのだ。

 「ありがとうございます。でも、こんなことで外に出られなくなるのは嫌なので、公主が良ければ通わせてください」

 普賢の方は、外に出られない、とは元始天尊に禁止されるの意のつもりだったが、竜吉公主は、心に傷を負ったであろう普賢が引きこもる、の意に解釈した。

 超お嬢様の彼女は、普賢の生い立ちを知った後も、そうはいっても、意に染まぬ交わりは嫌であろう、と考えていた。事もあろうに仙人界、それも、崑崙の高級住宅街である、自分の山と元始天尊の宮の間で起こった、今回の事件に、申し訳なさも感じていた。こんな事で、崑崙を、自分の故郷を悪く思われたくなかった。

 普賢が、外に出て、崑崙に親しみたいと言ってくれるなら、それを応援したかった。

 そこで、彼女は、快く普賢の通学の継続を許すと共に、太乙から護身用として、かつて渡された電気振動気絶装置(スタンガン)を譲った。
 彼女には、このような護身用の武器は全く必要のないシロモノで、洞内に放置してあったのだ。


 普賢の竜吉公主の元への通学は、その後太公望がやってくるまで続けられた。
 電気振動気絶装置(スタンガン)はその間、使われることはなく、その後も長いこと使われる事は無かった。

 なぜなら、請われると、結局、普賢は断れなかったのである。

 最初の道士以降も、同じような事は繰り返し行われた。数こそ多くなかったが、確実に繰り返された
 そして、いずれも問題のあった男たちは、普賢と交わった後、皆、自分から崑崙を去っていった。
 まるで何かの濾過装置のように、普賢という存在が働いて、崑崙に馴染めぬ者を優しくふるい落としていくようであった。

 その有様をみて、元始天尊は見て見ぬふりをすることにした。
 来るべき、封神計画の発動に備えて、内部の不安要因は少しでも排除したかった。普賢の行為と結果は、その役割を果たしていることが、彼にもわかったからである。









  「求められれば、どんな男とでも寝る」

太公望は、その日その時まで、普賢のその噂を知らなかった。
 
 10年もそばにいて、その噂を知らなかったのだから、思うに間抜けもいいところであった、と太公望は振り返る。ただ、言い訳させてもらうなら、太公望にとって、普賢は、それだけ近しい存在であった。自分の身近の者の噂は、案外耳に入らないものだ。そして、太公望は普賢について他者の口からどうこう言われるのを好まなかった。その態度ゆえ、この年若い道士にその噂を聞かせる者がいなかったのだ。

 「普賢——おるかーー」

 瞑想してくるといって、一日、一人でこもっていた後のことだ。玉虚宮に帰ってくると、元始天尊は出かけており、洞内は静まりかえっていた。

 「普賢—おるのだろー」

 そう言って、普賢の部屋の入り口を開けた太公望は、そこで固まってしまった

 普賢の上に、男がのしかかっていた。最初は賊かと思ったが、同時にそんなことでは無いとわかってもいた。
 二人とも裸で。男は激しく普賢の上で動いており、そして、普賢の白い細い足が、その腰に絡んでいた。

 あまりのことに、動けずに、そして呆然としていると、耳元で何か音がした。

「・・・・ボ・・・チャ・・・・ボー・・・チャン・・・・」

 ハッとして、普賢の顔を見ると、こちらを向いていた
 太公望と目線が合うと、普賢の口元がなにやら動いた。

 『ごめんね。あとでね』
 唇の動きで伝えてくる。
 その表情は、まるで、実験の結果をまとめていて忙しいの、後でね、
 そう言うときの表情とまるで同じであった。少し申し訳なさそうな、優しい微笑み。少し、頬が蒸気している以外、まるでそれと同じであった。
 『あとでね』


 普賢の上の男は、普賢の目線と意識が逸れたことに気づかないらしい。太公望にも気づく様子はなく、激しく動き続けていた。

 太公望にもう一度優しくほほえみかけると、普賢は男の方に向き直った。その頭を手で抱え込み、なでてやる。もう一方の背中に回った白い手が、その浅黒い肌の上を前後すると、男は一声吠え、なお一層激しい動きになった。

 
 どうやって部屋に戻ったのかわからなかった。膝を抱えて考えていると、数刻ほどして、普賢がやってきた。

 「さっきはごめんね。望ちゃん、何の用だったの?」
 先刻のことなどまるで無かったかのような爽やかな声音と風貌であった。
「何の用って、お主・・・あれは、」
 先が続けられなかった
 (わしに見られてもどうということはない、とそう言うことなのか)

「ごめんね。驚かせちゃった?」
 その様子に普賢が心配そうに声をかける。遊郭でも似たような事があった。引き取られてきたばかりの幼い子の面倒を昼間見ていた日、寂しさから夜、普賢の部屋を訪れたその幼子が、その光景を目にして激しく動揺した事があったのだ。

 あのときは、いずれ、同じ仕事につく子供がその身に置き換えて、ショックを受けたのだと思って慰めたのだが。

 今回は違う。なんで、望ちゃんはこんなにびっくりしているの?

 それは、太公望の疑問でもあった。わしは、何故こんなにも驚いているのか?



 「あれは、・・・・・あれは、お主の恋人なのか」
 ようやく声を絞り出した。

 「ううん」
 あっさり否定の声が返ってきた

 「お主、恋人でもない者とあのような事をするのか!!! どうして!!!!」
 「ちょっと、望ちゃん、声大きすぎ。どうして?って、うーん、したいって言うから」

 「お主、やりたいって言われたら、誰にでもやらせるのか!!」
 わしは、何を口走っているのだろう?

 「誰にでもってわけじゃ。うーん、だけど、お願いされると断れなくって。元始天尊様にも、それでよく怒られちゃうんだよね」

 元始天尊様も知っているのか?

 「なのに、何故わしは知らぬのだ?」
 気持ちが言葉となって、漏れた

 「え? 何? 望ちゃん? 今度は声小さすぎ、聞こえないよ」

 「元始天尊様も知っているのに、何故、わしが知らなかったのか?と聞いておる。わしとお主は・・・・」
 そうだ、どういう関係なんだろう、自分と普賢の関係は。 兄弟弟子、友人、共同生活者、いったい何だ? 

 「だって、望ちゃんに言う必要ないでしょう」
 「なっっっ!!!」
 「望ちゃんだって、一人で出かけたときにあった事、全部言わないでしょう? 崑崙中のいろんな仙道に、会いに行っているの知っているよ」

 「それと、これでは違う!!」
 「どう違うの?」
 「!!!!」

 こんなに言葉が通じない相手であったろうか。何かがまるで噛み合っていない。いつも話を聞いてくれた。こちらが一言えば、十を察する敏さで側にいてくれた。それに甘えていた。その優しさが、別の人間に向けられたとき、全く違う形をとることがあると、今日、知らされた。

 「違う。」
 「何が、違うの?」
 「わしは、話をするだけだ。お主のは違うだろう」
 「僕も、話をするよ。終わった後は、みんな、たいてい、お話したがるから。」

 みんな????

 「望ちゃんだって、同じでしょ?」
 「何が??」
 「剣や武道で戦うと相手の事がわかるような気がするって、前に言っていたじゃない」
 「・・・・・それは!」

 普賢の別の一面を見せられて、とまどう自分がいる。

 「そう言うこと、一々、僕に言わないでしょ。今日、誰々さんと会ったとか、今日、どこどこで試合したとか」
 「確かにそうだが、それは、事細かに、報告することでもあるまい。」

 ここまで、言って気づいた
 普賢にとって、性交するということには、深い意味はないのか?
 わしが、誰かと話して情報を仕入れたり、人柄を見たりすることと同程度なのか?

 つまり、秘密にしていたとかではなく、普賢にとっては、語る程の事でもないということなのか? そういうことなのか?

 「ふーっ」
 肩の力が抜けた。

「それで、昨夜の男は何者なのだ。わしは知らぬぞ」
「僕も知らない」
「!!!」
「でも、もう来ないと思うよ。人間界に降りるって言っていたから。寂しいよね」

 
「わしに同意を求められても困る。」
「どうして? 望ちゃんだって、崑崙の人が減ったら残念でしょ」
「うーーー。あー、いや、その、あれだ、その、音、そうだ、あの音はなんだ」
 話を変えよう。

「音?」
「そのなんだ、普賢の部屋に入った時、耳元でした声のことじゃ。お主の声では無かったし、今まで聞いたことのない声音だった。じゃが、わしの名を呼んでおったような気がする」
「あれのこと? 望ちゃんの耳の周りの空気を動かして作り出したんだ。」
「空気を?」
「うん、音は空気の波で作られているよね。それで、空気を動かして、音を作って見ようと思って、今、頑張っているんだ」
「それは、すごい。宝貝無しでそんなことできるのか?」
「うーん、近くでだけだし、あまり音の種類も無いけどね」
「そうか? 確かにわしの名前に聞こえたぞ」
「ホント? 良かった!!」
「どれ、もう一回やってみてくれ」

普賢の手が、身体の前で合わされて、軽く開いて球体を形作る
と、
「・・・ボー・・ちゃん。・・・望ちゃん」

 耳元で声が聞こえた。
 普賢の口元は動かず、その音調も普賢の声とはほど遠い。
 だが、確かに、自分の名前を呼んでいる。
 太公望は未だ知らなかったが、術と呼ばれるたぐいのモノだ。それも崑崙に来てわずか十年余りで、術をかけらとはいえ使うとは希有なことだった。

「おー、すごいのぉ。確かにわしの名前だのう。先刻よりはっきり聞こえとる」
「まだ、集中しないと上手くできないんだよね。それにさっきは、もっと遠かったから。」

「どれ、他の言葉も、やってみてくれ。ふむ、これはおもしろそうだぞ」
「ごめん、今できるの、これだけなんだ。練習始めたばかりだから。一つの音が上手に出せるようになってから、他のを練習しようと思って」

 その言葉に気持ちが温かくなる。でも、聞かずにいられなかった
「なんで、その『一つの音』がわしの名前なのじゃ?」
「嫌だった?」
「嫌ではないがのう。何故なのじゃ」
「だって、『桃』とか『梅』じゃつまらないでしょう? それに言葉は元々誰かに何かを伝えるためのモノなんだし、一番話しかけることの多い相手は望ちゃんなんだから、望ちゃんの名前で練習しようと思って」