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 殷周革命から二年の月日が流れていた。

 普賢は、神界の自らの住まいに帰ると、常とは違う感覚を覚えた。
結界を抜けた、そう思った。

 結界は、敵意を感じる物ではなくて、むしろ懐かしい感触で。


 そして、予想通り、部屋の中に座る人物がいた

 伏羲、はたまた、王奕、太公望、王天君、おそらくその他数多の名を持つであろうその人を

 「思ったより、早かったね。望ちゃん」




 
 
 
 

 普賢は父母の顔を知らない。
 そう言ったとき、太公望は少し考えてから「早くに亡くなられたのか?」と尋ねてきた。それに曖昧にうなづいたんだった、そんなこともあったっけ。

 じつのところ、半分本当、半分嘘だった。
 母は確かに物心つく前に亡くなった。もっとも、それ以前から母以外の人々の間で養育されていたので、母の思い出らしい物は無い。
 幼い日、死んだ女の前で立っていた記憶がかすかにあるだけだ。それとも、それも母ではない女の骸だったのかもしれない。

 遊郭では、女の命は、儚い。たやすく失われる。
 普賢の母は、そんな町の女だった。

 だから、父は知らない。おそらく誰も、普賢の母とて、知りようが無かったであろう。

 そんなところで育った。
 
 いつから客を取っていたのか、それも覚えていない。
自分という存在を認識するより幼いときに、もう、そうだった。

 
 通常、花街にいるのは、女だ。

 だが、男もやはり、商売の種になるのだ。
 それでも、ひっそり営まれるのが普通だ。普賢は、その普通を超えていた。
 多くの男たちが、なんどでも普賢の元に足を運んだ。
 噂が噂を呼び、さらに多くの男たちが訪れ、その男たちもまた繰り返し訪れるようになっていった。

 普賢は、といえば、どの男にも誠心誠意尽くした。
 相手を深く知りたい、分かり合いたいと思い、望まれるまま、体を与え、言葉を紡いだ。

 やってきた男たちの多くは、普賢の容姿にうなり、欲望のままその体を組み敷いた。 

 従って、普賢の言葉の多くもまた、実ることが無かった。

 しかしながら、普賢は一向気にしなかった。男たちの語らぬ態度の裏側に、様々な感情を見いだし、体をつなぐことで、引き出されるそれらを知っていくのが、彼にとっては喜びだった。 
 その普賢の振る舞いに、男たちも体を重ねるうちに、皆、なんとも言われぬ安らぎを覚えるのか、普賢を求めて店の前に列をなした。

 店の主人は、それらの客をさばくのに懸命とならねばならぬほどだった。

 中には、普賢を引き取りたいと申し入れた者も、一人や二人ではなかった。が、主人は、首を縦に振らなかった。まだまだ稼げると考えたのも事実だったが、なにより、本人が、是と言わないのだ。

 「ここにいたい。たくさんの人にあえるもの」

 その一方で、一人の時は、ぼんやりしていることが多い普賢だった。店の者たちは、疲れているのだろう、と放っておくことにしていた。
 そんな時の普賢は、誰も答えてくれない疑問に頭の中で一人取り組んでいた。

 それは、たいてい
 「どうして高いところから落ちた桃は、つぶれるのだろう。同じ大きさの桃を僕が手から落としても、あんなにつぶれたりしない。ちゃんと食べられる形を保っているのに」
 とか、
 「なぜ、水は、凍ったり、湯気になったりするんだろう。お椀のおつゆは凍らないのに」
 とか、
 「月は、なぜ、満ち欠けするんだろう。神様がしているっていうけど、それなら神様の気まぐれで、満ちたまま、とかあっても良さそうなのに。」
 「月が一晩のうちに、欠けたり、満ちたりしたことがあったという人がいるけど、本当かな。どうしてなんだろう」


 普賢の疑問は、神話の時代を生きる人々にとって、理解の範疇を超えていた。それが、どうして疑問となるのか、それすら理解できなかった。

 普賢もそれは心得ていて、その疑問を口にして、周りを困惑させることは無かった。世界は、彼にとって、謎で満ちていた。
 
 その豊かな、そして狭い世界での生活は、やがて終わりを告げることになる。






 事の始まりは、何人かの仙人が、相次いで仙界を辞した、という噂だった。

 仙人は、それぞれ独自に修行している者が多いので、当初、これはそれほど大きな話では無かった。
 しかしながら、十二仙の弟子が二人ほど、帰ってこないという事態になって、ようやく彼らは、何か起こっていると気づいたのだ。それもどうやら一人の人間によって、引き起こされている事態だと。

 十二仙のうちで、普賢に最初に会ったのは、赤精子だった。彼の弟子が、修行を放り出し行方不明になったのがきっかけだった。
 ようやく探し出して、事情を聞くと、
 「もう仙人界には戻れません。自分は仙人になる資格がありません。」
 「どうした。もう少しで、道士から仙人になれるところではないか。」
 「すいません。すいません。師匠。無理です。自分には無理です」

 無理だ、と繰り返すばかりの弟子を、怒ったり、宥めたり、時間をかけてようやく聞き出した。
 「・・・・・・肉の喜びを思い出してしまいました。 仙人界に戻ろうと思いましたが、道がわからなくなってしまいました。」
 「女か」

 どれほどの女なのだろう。
 この弟子は、確かに出来がいいとは言い難い。しかし、努力を重ね、宝貝を持てるまで後一息の所だった。
 壁に当たって苦しんでいたのは知っている。だが、女に溺れるほど柔では無かったはずだ。自分の課してきた修行もそれに耐えうるものだったはずだ。

 言葉を重ね、説得を試みたが、弟子の決意は固かった。なにより、仙人界への道がわからないというのでは、どうしようもない。
 前途を願う言葉を贈り、見送るしかなかった。

 別れる前に、その女の名と邑の場所を尋ねた。夫婦になるなら、何か祝いの品ぐらいは送ってもいいかと考えたからだ。弟子は、しばらく言い渋った後、その女の名とその居場所、すなわち店の名を告げた。さらに、何か言いたそうにしていたが、ついに言わず、師匠であった赤精子に別れと詫びの言葉を残し、去っていった。

 遊郭の女だと聞いて、赤精子は正直がっかりした。自分の弟子が去る理由が、愛に目覚めたなら、まだしも、肉欲に負けたでは、情けないにも程があると思った。

 それでも、その時点での一番弟子を陥落させた女を見ておくのも悪くない、と考え、そのまま、その邑に足を向けた。

 殷の中でも比較的大きな邑の中の花街で、それなりの規模があったので、探すのに一手間かかるかと思ったが、すぐに店の所在はわかった。通りにいた者に尋ねると、一人目に尋ねたところで、すぐ答えが得られたのだ。店の名に対しては首をかしげたその者は、女の名にはすぐ反応した。

 「ああ! ははは、あんたもかい。しかし、どこの田舎から来たんだい。変わった服だねぇ。 まぁ、気にするこたぁないよ。あの子は優しいからね。そんなことで嫌がったりしないさ。でも、順番待ちが大変だよ。今なら、まだ早いから、今夜のうちに相手してもらえるかもしれないね。なにせNo.1の売れっ子だからな。急いだ方がいいよ」

 太陽は、まだ中空高くあるというのに、店の前には既に列ができていた。
 「この店で一番って娘に会いたいんだが」
 「お客さん、初めてかい。ちゃんと列に並んでくんな。 額はわかっているのかい。あの子は安くないよ」
 「いや、俺は、客じゃなくてだな、」
 「はいはい、わかっている、みんなそう言うんだよ。見に来ただけだって。そんなのまで相手にしていたら、あの子がもたないよ。今の時間は休ませてやらなきゃね。」

 遊郭の中で生き抜いてきたらしい老婆は、とりつくしまもない。
 この状況下で、仙人です、と名乗って、自分の名前にケチをつけるような真似もできず、赤精子はおとなしく並んで待つことにした。赤精子の後ろ、二人ほどで、列は締め切られた。
 (これだけの人数を一晩で相手にするのか。良く身体がもつもんだ。)

 夜もだいぶ更けて、一人また一人と中に案内されていく、一刻ほどで出てくるのだが、皆、陶然とした顔をしている。
  次が自分となったところで、後ろの男がつぶやいた。
 「もう少しだ。待ち遠しいよ。あんたもだろ。」
 「・・・・・まぁな。しかし、皆、あの顔か。すごいな、どんな女なんだ」
 その瞬間、大爆笑が起こった。

 「あんた、初めてかい。そんなことも知らないで、並んでいたのかい。お目当ての子は、女じゃないよ、男の子だよ」
 「!!!!」

 それは、知識としては赤精子にもあり、女っ気の少ない崑崙では、あることではあった。がしかし、そもそも肉欲に溺れてはいけないのが、仙人であり、まして、武闘派の赤精子である。このような事態は想定していなかった。

 「いやなら、帰んな。俺が繰り上がるから、ありがたい。」
 「いや、おれはだな。」

 その時、赤精子の順番が来た。
 「まぁ、行ってきなって、嫌ならすぐ出てきたらいい。期待せずに待っているからよ」

 どちらにしても、昼から待ったのだ。仙人にとって、それは長い時間ではないが、赤精子とて暇では無い。
 
 とっとと顔をみて、おさらばすることにしよう。

 廓の中を案内された先の部屋に、普賢はいた。
 おそらく、いくつかの部屋を変えながら、使っているのだろう。
 前にいた男の気配は無かった。
 
 普賢にもだ。
 涼しげで、何人もの男を相手に寝るような人物にも、そして、いましがた寝ていた様にも見えなかった。
 
 仙人骨がある。
 赤精子はすぐに気づいた。
 あれだけの男を相手にして、身体がもつのはそのために違いない。回復が早いのだ。

 襟首の大きく開いた衣服から、頸ばかりか肩とそして鎖骨が見えた。白いその肌には、男たちの跡一つ見えなかった。
  
 「こんばんは、初めてお会いする方ですよね」
 赤精子が黙っていたからであろう、普賢の方から声をかけてきた
 「あの、違っていたら、ごめんなさい。仙人様ですか?」

 これには、赤精子の方が驚いた
 「わかるのか?」
 「なんとなくですけど、前に、仙人様だとおっしゃった方たちと雰囲気が似ているので、そうかなと。あの、仙人様なんですか?」

 方たちだと!、俺の弟子以外にも複数来ていたわけか。いや、俺の弟子は道士だから、正式には仙人ではないが。
 スカウトか? 仙人なら誰でも、弟子を取ることができるし、スカウトにいそしむ者もいる。

 しかし、スカウトされていないから、普賢はここにいるわけである。
 どういうことだ?

 「あー、そうだ。仙人だ。十二仙の赤精子という。他の者たちは何をしにここに来たんだ?」
 「じゅうにせん? 赤精子様、でよろしいですか? 何をって、その、あの、ここですることは決まっていますので、その。」

 あー、馬鹿な質問だったと思った。スカウトしに来たんじゃ無いんなら、それ以外に来る目的は決まっている。

 「あー、すまん。その、なんだ、連中は、おまえをスカウトしなかったのか」
 「スカウト?」
 「仙人界に来いって、ことさ。誰も言わなかったのか、おまえには仙人骨がある。仙人界に来る資格がある」

 普賢は、ようやく納得したような顔になった。
 「はい、皆さん、そうおっしゃって下さいました」
 「で、なんで、来なかった?」
 「ここにいたかったので、お断りさせていただきました。すみません」
 「なんだと! 断ったのか」
 「はい」
 
 思わず、頭を抱えそうになった。
 もちろん、仙人界へのスカウトを拒む者は大勢いる。肉親を捨てられない、俗世のしがらみを捨てられない者も多くいるのだ。しかし、普賢は違うはずだ。この環境下で、断る理由があるとは、赤精子には到底思えない。つらい商売のはずだ。
 わかっていないのじゃないか?

 「ここにいるより、ずっといいはずだぞ。 食べ物にも困らないし、第一、誰かと、その、なんだ、寝なくて、すむぞ。」

 「皆さん、そうおっしゃってくださったんですが、僕、ここがいいんです。 あの、お仕事も嫌じゃありませんし、いろんな方とお話できますから。あ、食べ物にも困ってません。 ちゃんと食事してます。不作の時は、だめですけど。 でも、それは、みんなだってそうだし。」

 なるほど、この環境下で、仙人骨があるのはどうしたことか、と、思ったが、これなら、わからないでもない。
 ここで生きて、やせ我慢でもなく、この心持ちなら、仙人骨もできてくるはずだ。

 「今は、それでいいかもしれんが、年をとったら、つらいだろう」
 「うーん、先のことって、あんまり考えていないんです。今、一生懸命、大事にしていたら、明日もちゃんとくるかなって。」

 刹那的の様だが、的を得ている。一瞬を大事にすることが、永遠につながる。それは、永遠を生きる仙人の心得にも通じる。
 
 「あー、まぁ、そうだな。で、他の者たちは、そうやって断られた後、ただ帰らず、おまえさんと、床を共にした、というわけか。」
 「えーと、はい」
 「なんだ、歯切れが悪いな。あー、そうか、そうだな。なにもせずに帰った奴もいたはずだよな」
 
 なんだかんだ言っても、客に袖にされた、とは、言いたくないってことか

 「いえ、その、してから、お誘い下さった方もいて」
 「なんだと!!」

 赤精子は再度、頭を抱え込んだ。今度はさらに悪い。頭が痛い、割れるように痛いぞ。
 
 「すみません。」

 「いや、おまえが謝ることじゃない。」
 どこの仙人だ。金鰲島の仙人か、そうだそうに違いない。

 はぁ。それにしても、こいつを連れて帰ったら、どうなるんだ。
 俺はいい。
 別に、どうこうしたい気は、今この時点でも無い。それははっきり言える。色気があるようには、到底見えん。 誘ってくる気配も無い。おそらく、いつもそうなのだろう。誘われれば、応える。そして、男たちはそれにはまるって訳か。

 一番弟子のあいつですら、こいつの前に落ちた。他の弟子のことを考えると、さらに頭痛が増してくるのを感じた。

 もともとそんなに深く考えるタイプではない赤精子は、この問題を先延ばしにすることにした。
 長い時間を生きる仙人特有の悪い癖がでた、といえる。

 「あー、わかった。悪かったな、邪魔をして。 帰らせてもらうわ。 えーと、達者でな」
 
 窓から赤精子は、去っていった。
 興味という罠にもはまらず、賢明にも去っていった赤精子は、さすが十二仙と言うべきか、それとも朴念仁と言うべきかは、後に仙界でも意見が分かれることになる。


 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
それから、数ヶ月後、元始天尊の前での十二仙の定例会議があった。
 この席上で、普賢のことが話題になったのだ。

赤精子の弟子以外にも、脱落する弟子が出ており、さらに、複数名の仙人が、失踪している。おおむね、出来や質の悪い者が多かったので、ここまで、問題とならなかったのだ。

 しかし、さすがに、異常事態である。それが、全て一人の人間によって、引き起こされているというのなら、なおさらだ。

 「金鰲島の手先なんじゃないのか?」
との、発言をうけて、赤精子が応えた
「いや、そういう感じじゃなかったぜ。天然だわ。」
タツイツが驚いた顔で、
「なんだ、君、もう会ったの。で、大丈夫?」
目がにやけている。朴念仁赤精子はあっさりかわした。
「いや、俺は全く。だが、あれを放置しておいていいとは、思えん」

 ここまで、数ヶ月、問題を放置しておいて、いう台詞だろうか?

玉鼎真人が
「崑論にひきとればいいのでは無いか。仙人骨がある、という話ではないか」
いつものまじめな顔で、言った。何が問題かわからんという、口調だった。。

「本人が来たがっていない。おまけに、あれを連れてきたら、後何人の弟子が、脱落するか、わからん。 そうかといって、人間界に放置したら、そのうち、大きな戦のネタにでもなりそうだ。殷の皇后だけでもやっかいなのに、これ以上、そんなのが増えたら、頭痛いぜ」

「玉鼎、おまえが引き取ると言ったんだ、おまえが引き取れ。だいたい、おまえの所はヨウゼン一人だろう。」
「ヨウゼンはまだ幼い。そのような者は引き受けられぬ」

 お父さんは、息子に危険が近寄ることを許さなかった。
 前言が無かったかのように、きっぱり、はっきり、我が儘な主張を恥ずかしげもなく行った。

 その親馬鹿っぷりに、皆がため息をついた。

 その後、皆、うちは、いかに駄目かということを延々と言いつのることになった。 伏羲が見たら、どこかの時代のどこかの国の「学級会」の様だと思ったに違いない。しかしながら、ベルが鳴れば終わりの学級会と違い仙人どもの会議は長い。ご飯も水もいらない上に、なにせ、疲れたと弱音を吐くことは、仙人として恥だからだ。
 そして、会議は、いつもの通り、長く長く続き、「どうして引き受けられないのか、(老人もとい仙人の主張)」大会に変貌した。

 その様子を見ていて、元始天尊はげんなりした。引き受けられないと言うが、こ奴らの弟子そんなのばかりなのか? というか十二仙だってあやしい。この調子では、来るべき封神計画はどうなるのか

 その長い会議の果てに
「最悪は、金鰲島にいっちまうことだよな」
誰とも無くポソっと言った。

 場がしーんとした。
 金鰲島とは表向き休戦中だが、実際は、最大にして、唯一の仮想敵対集団だ。

 「それは、・・・・それは、避けたいでちゅねぇ。」

「そうだ!! 公主に引き取ってもらったら、どうだろう」
純血の仙女、竜吉公主の名を太乙があげた。

 俄然、場が盛り上がる。

「そうだ、それがいい。公主なら、ふらふらっと行かないだろうし、あそこは女の子たちしか、いないから、いいんじゃないか」
「いや、女性が守備範囲外とは、限らないぞ、どうなんだ、赤精子」
「いや、そこまでは、聞いてこなかった。っていうか、知らん。いや、積極的に自分から迫るタイプじゃなさそうだから、うん、そうだ、確かに、公主は適任だ」

竜吉公主にということで、決まりそうな様相を帯びてきた。
 ここに至って、元始天尊は、いかん! と、内心あわてていた。会議の間に、千里眼で、普賢のことは調べていた。確かに、公主に任せても、公主に害は無いだろう。

 ただ、問題は。

 問題は、燃燈道人だ。

 死んだことになっている燃燈道人だが、実は生きている。そのことを知っている元始天尊としては、この案は、承認できなかった。

 仮にも若い男が、公主の住まいに住むことになったら、(仙人の弟子は住み込みと決まっている)、あの、シスコンの燃燈道人のことだ。封神計画など、なげうって、出てくるに決まっている。絶対だ。今日のおやつの桃マンを懸けるまでもない。

 そうなれば、封神計画は、おしまいだ

 「いかん!!」
思わず、叫んでいた。

 十二仙が一斉に元始天尊の方を向く。
 今まで、沈黙を保っていた元始天尊が、口をきくなり、「いかん」と叫んだのだ。

 「あー、いかん、んー、んーー、いかん、性急な結論はいかん」

もう一昼夜半、話しているんですけど、性急ってなんですか?

「その、なんだ、わしが直々に行ってくるとしよう。その上で、決めることにしよう」

 早く言え! 十二仙全員がそう思ったところで、会議は終わった。


 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

夜も更けた頃、窓の外からの呼び声で、普賢は目が覚めた。
実際は、頭の中に響いた声だったのかもしれない。

 隣には、最後の客が寝ている。
 最後の客は、夜明けまでいていいのだ。ここでも客同士の駆け引きが発生するが、朝一で並ぼうとする徹夜組を出さないために、店の主人が、考え出した方法である。


 起きて、頭をふるってみたが、やっぱり、声がする。
 一枚、上着を着て、窓の方に近寄る。

 たまに、窓の外から、忍んでくるものもいるのだ。最近は、店の取り締まりが厳しいから、とんとなかったのだが。それかな、と、思って、近寄る。

 もし、見張りがいるのに、声がするとしたら異常事態だ。見張りにも、侵入者にも怪我などして欲しくない。

 窓を開けると、シンとして、まるで生きる者の気配がしない。巨大とも思える満月が、煌々と輝いており、それを見上げる形で、視線をあげた先に、人が立っていた。

 否、空中に浮いていた
 元始天尊である。

「そなたが、普賢だな」
「はい。えーと、仙人様?」
「いかにも、元始天尊という。崑崙の教主じゃ」

崑崙が何かは、わからなかったが、教主という言葉はわかった。それが、なくても、今まで来た仙人とは違うのは一目でわかった。

 その年を経たであろう容姿も、もちろんだが、発する気が、まるで違う。

 後にこのときのことを聞いた太公望は、一言
「要するにものすごいじじいが来たってことであろう?」
と、片付けた。

 そのじじい、もとい、元始天尊は
「さて、崑崙にきて、仙人になるべく、修行をしてみぬか」
と、続けた。

「えーと、あの、仙人になることに興味は無いので」
「ふむ、それでは、何に興味があるのじゃ、昼間ぼーっとしておる時間、そなた、何を考えておる」

昼、それは、普賢に取って、思索にふける時間だった。周囲の世界への疑問を考える時間。
 今まで、誰一人、普賢の満足のいく答えは、してくれなかった。 

 この人なら、答えてくれるだろうか。あの大きな頭には、沢山の知恵が詰まっているのだろうか?


 「いろいろです」
「いろいろか。」
「はい、たとえば、どうして、桃は、高いところから落としたときほど、形が崩れるのか、とか。どうして、太陽は常に東から昇るんだろうとか。なぜ、四季は同じ順番で巡ってくるのだろうとか。
そんなことを、いろいろ、です」

「ふーむ」
これは、意外だった。この時代、こんなことを考える者は、仙人の中でもごく稀だ。
「それで、おまえはどう思っているのだ。」
「えーと、桃は、たぶん、高いところにあると、重いんです。実際の重さは同じに感じますが、地面から離れるほど、なにか、加わっているんです。僕らのもっている秤では、はかれませんけど。だから、高いところから落ちたときほど、その加わった分の何かで、激しく壊れるんです」

 驚いた。質量保存の法則や、重力の概念を含んだ説明だった。

「そなたの考えていることは、物理学という学問で、説明されることだ。そなた、文字は読めるのか?」
「いいえ」
「では、誰にそのような考えを習った」
「誰にも。いろんな人の話を聞いたり、周りで起きることを見ていて、思ったんです。あの、そのブツリガクというのを学んだら、わかるんでしょうか。それは、どこで学べるんですか?」

お、食いついてきおったわ。こんなことで、よかったのか

 「わかる、全て、説明できる。だが、今のおぬしに、理解できるように説明することは、一晩かけてもできぬ。そして、仙人界でのみ、物理学やその他の科学も学ぶことができる。おぬし以外にも、こういう事に興味があって、研究しておる者もいる。」

普賢の心が動いているのが、元始天尊には、よくわかった。
もう一押しだ。

 「どうじゃ、こぬか。それに、人間の寿命では、全てを理解する前に死が訪れるぞ」