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 目が覚めると、見慣れた天井が広がっていた。

 横に目をやると、太公望の顔がある。
 他者として、太公望の顔を眺めることに、ひどく違和感を覚える。

 彼も我も無く一緒だったのに、他者として、そこにあるその姿。

 ぺたぺたとその顔に手を触れて、その存在を確認する。

 その手触りにくすぐったそうにしながら、太公望が声をかけてくる。
 「どうした普賢。わしの顔になんぞ、ついとるか?」

 「んー、望ちゃんだぁ、と思って。せっかく一つになっていたのに、また分かれちゃったんだなぁって」
 「分かれない方が良かったか?」
 「うん。だって、気持ちよかったもん」

 「そうか、そうか。気持ちよかったか」
 「そうだよ。望ちゃんだって、そう思っていたでしょ? どうして、分けちゃったの」

 「それはのう・・・・むー、途中は?  その・・・・解け合う前の仕儀はどうであった?」
 「え、それ、聞くの?」
 「うむ。それはどうであった? よかったか?」

 解け合って、魂魄が一つになっていた時は、全てを共有していた。
 別れてしまった今、普賢には、細かいことは思い出せない。ただ、伏羲の孤独の感触が残るばかりだ。

 だが、始祖である太公望は違うはずだ。もっと、細かく思い出せるに違いない。
 にも関わらず、そんなことを尋ねてくるとは、どういうつもりか
 だいたい、普賢がどれほど感じていたかなんて、始祖の力など無くとも容易にわかることなのに。

 普賢が黙っていると、重ねて聞いてくる。
 「のう、よかったか? どうであった」
 「望ちゃん・・・聞かなくても、わかってるんでしょ」

 「それは、そうだが、その、なんだ・・・・・言葉で、こうはっきり言ってもらいたいなぁ、と」

 永劫にも似た時を生きてきた男の言う言葉か?
 
 あまりにも卑小で、あまりにも卑猥で、・・・・そして、愛おしかった。

 くすり、と笑みがこぼれた

 「笑うでない、答えてくれい」
 「うん、気持ちよかった。とっても良かったよ。望ちゃんは?」
 「わしか、わしはもちろん気持ちよかった。あたりまえであろう」

 ほんとだ。わかっていても、言葉にしてもらえると、確かに嬉しい。

 「そう? なら、良かった」
 「正に、愉悦の極みであったわ」

 そう言いながら、何かを思い出すかの如く、にやりと笑う。
 「で、のう。こういう事は、やはり二人でないと味わえぬ。融けておるのもいいが、その過程もまたよいものであろう?」
 その表情に怪しいものを感じつつ
「うーん。そうだねぇ」
 と、一応の同意を示す。


 「そうであろう。そうであろう」
 そう言いながら、また、普賢の身体を組み敷き始めた。

 「え? ちょっと、望ちゃん、なに・・・・ん、ちょっ・・・・」




 融けては別れ、分かれては融けるを何度も繰り返す。
 
 個は、孤独。・・・・・個独だ

 融けて離れて、離れて融けて、少しづつ埋め合い、重なりあう。
 その出会いの奇跡に感謝する。

 ああ、永い旅路の終着が、ここにある。












 天井の風景が目に入りつつ、あ、また、分かれちゃった、と思う。
 「望ちゃん・・・・・?」

 しかし、この度は、隣にあるはずの姿が無いのに気づいて、あわてて身体をおこす。
 すると、椅子に腰掛けてこちらを見守る太公望の姿が目に入った。
 「望ちゃん、良かった。いなくなっちゃったかと思った。出かけるの?」

 既に衣服をしっかり纏っているその姿に、声をかける。
 
 「うむ。外も大分騒がしくなってきたでのう。すまぬ。少し出かける。しばし、留守にしてもいいかのう?」
 「ちゃんと、帰ってきてくれる?」
 「もちろん。・・・待っていてくれるか?」

 「うん。待っている。体、気をつけてね。無茶しないでね」
 「大丈夫だ。お主こそ、気をつけよ。あぁそれから、他の男と、むろん女子ともするでないぞ」

 「はーい。わかってます。望ちゃんがそうして欲しいなら、そうします」
 「うーむ。わしの意向に関わりなくそうすると言うて欲しいものよのう。まぁ、そこがお主のいいところか」

 ため息をついてから、思い出したように続ける
「あー、わかっておると思うが、他の者と致すな、と申したが、命をかけよ、と申しておるわけではなくな、身の安全を第一にだな・・・」


 なんだか、昔も同じような言葉を聞いたな、と思う。
 だいたい、魂魄体の身の安全、って何だろう。
 望ちゃん以外に、魂魄体になってもこんなことしたい人いるのかな?

 「何、笑っておる。わしは真剣にだな」
 「わかってるよ。望ちゃん。ありがとう・・・・待ってるからね」

 「うむ」
 口づけられる。始めは軽いものだったのが、すぐに深く濃くなった。

 「・・・・・・・だぁ、いかん。いかん。・・・・お主、やはり危険だのう。離れがたいわ」

 「でも、いくんでしょ?」
 笑いを含んだ声が出る。

 「うむ。・・・・では、後は頼むぞ」
 そう言って、手袋越しに頬を撫でると、姿を消してしまった。

 気配のかけらも無い。

 後を頼むって、何の事?





 どーーーーーんーーーーーー

 あれは、銅鑼の音?

 『お師匠ーさまーーーーーー!!!!』
 『ご主人ーーーーーーー!!!!』

 
 太公望の気配が無くなるやいなや、ものすごい音量が外から響いてきた。

 何? これ?

 太極符印を取り出すと、洞の外に多数のエネルギー体が集まっているのがわかる。

 どういう事?

 その間にも、
 『お師っ匠ーーさーまーーーー』
 どんどんと入り口を叩く音までしてきた。

 えーっと、武吉クン?

 とりあえず、服を着ないと、と、寝台から出る。

 そもそも神界は中途半端だ。
 岩や植物は実体で、そこを動いている自分たちは魂魄体。

 服は、その魂魄体が作り出している者が多い。中には、趙公明の様に、物質で多数の服を作り、身に纏う者もいるが。
 この太極符印だって、実のところ、自分が作り出している魂魄体の一部だ。

 重力を操作する力は、普賢に備わっているもので、太極符印は、触媒にすぎないのだ。
 そして、今や、複雑な計算も測定も、魂魄体の自分自身がこなすもので、太極符印の助けはいらない。
 それでも、馴染んだその姿が好きで、太極符印の形を作り出す。その形が手にしっくり馴染み、力が安定する。
 
 そうこうする間に、外の喧噪は、ますます大きくなってきた。


 いったい、何の騒ぎなんだろう。

 そう、思いつつ、洞の入り口から、ひょっこり、顔を出す。

 とたん、喧噪がぴたっと、止んだ。

 そして、次の瞬間。
 わぁーーーーっと、弾けるような歓声が起こる。


 何? 何なの? これは。

 ものすごい数の人数が集まっていた。
 太極符印で、多くのエネルギー体がいることはわかっていたが、魂魄体となった神界の住人のみならず、仙人界にいるはずの人たちも多数いる。
 

 それらが自分の洞の前に、群れをなしているのだ。

 困惑する普賢に『華麗な』声が降ってくる。

 「ほらね、やっぱり、私の華麗な演出が一番だったろう? 早く私に任してくれれば良かったのだよ」

 声の方を見ると、なんと自分の洞に隣接する形で、舞台が設営されている。
 
 そこに『華麗に』着飾った演出家趙公明とともに、雲霄三姉妹がいた。
 三姉妹の方は、なにやら、裾の短い真っ白い薄物を纏い、脚は編み上げ靴を履いていた。

 そして、長女ビーナスが
 「妻たる私の舞が一番でしたわね。さ、太公望様はどこですか?」


 そのビーナスを皮切りに一斉に、人々が話し出す。

 うわっ、望ちゃん、愛されているね。
 笑みがこぼれた。



 押し合いへし合いして、皆が、一斉に話して、収集がつかない。
 うーん。さすがに、これだけの人数の言うこと、聞き分けられないよ。
 まだまだ、修行が足りないなぁ。

 その人混みを飛び越える形で、四不象とその背に乗った武吉が最前列に入り込む。
 最初、普賢の洞の前に陣取っていた一人と一匹だったが、押し寄せる人々に下流に押し流されてしまっていたのだ。

 しかし、そんなことで負ける彼らではない。
 「普賢さーーん」
 と叫びながら、えーい、っと飛んで、割り込みをした。

 「何、割り込んでいるのよ。引っ込んでなさい」
 と、きつい声も上がったが、普賢が
 「あ、四不象、武吉クン。久しぶり」
と、彼らに声をかけたことで、彼らに会話の優先権が与えられ、事態は収拾に向かった。


 そもそもは、烏文化だった。
 普賢が、相互理解を求めて、毎日訪れていた野獣系妖怪の魂魄体である。

 全く会話が成立していないその有様に、
 「普賢、もうやめたら」
と皆が声をそろえて言っていた、その烏文化である。

 太公望が普賢の元を訪れて、軟禁状態にしたため、当然の如くその訪問が途絶えた。

 最初は、なんだかうるさいのが来なくなった程度だったが、すぐに物足りなさを覚えて、叫び始めた
 そのうるささに、近在の者が言ってみれば、
 「がー、がー、こないー、フゲンーーーこないーーー」
 がおー、と吠えている。

 普賢真人が来ない、だから、どうしたと、思った。
 さすがにあきらめたんだろうと。

 ところが、烏文化の所どころか、普賢が全く姿を見せ無くなった。しかも連絡が取れないのだ。
 洞に行くと、人の気配はまるでしない。にも関わらず、洞の中に入ることができない。

 騒ぎが大きくなった。
 数人がかりで、洞に押し入ろうとも試みたが、歯が立たない。
 索敵の得意な者たちが、中の様子を探ろうと試みたが、これも駄目。


 ここに来てようやく、太公望の仕業だという結論に達した。
 なにしろ数人で押し入ろうと試みた一人は聞仲であったし、索敵には千里眼を持つ元始天尊まで加わったのだから。

 これで駄目というなら、太公望以外に原因はあり得なかった。

 ちなみに聞仲は、力を貸してください、とかつての仲間や部下に頼まれての参加であった。何故、自分が押し込みなどに加わらねばならぬのかと思ったものの、普賢真人は、王天君のダニに寄生されながらも自分を負傷させた実力者、一目置くところがあったので、皆の要請に応えたのである。
 
 仙人界にも、この情報が伝えられた。元々、太公望と普賢の仲が良いことは周知の事実だ。どの程度の仲か、という点に関しては、諸処の説があったわけだが。ともあれ、これは、太公望つまりは始祖の力だと、現教主ヨウゼンを始め、皆がそのように考えた。

 

 さて、仕方ない。
 押して駄目なら、引いてみろ、と誰かが言い出した。
 洞の前で、何か珍しい音曲・歌舞でもしてみたらどうだ、というのだ。

 珍し物好きの太公望なら出てくるのではないか、と。

 始めは、武吉が太鼓を叩いて、四不象がアクロバット飛行する程度だったのが、次第に規模が大きくなってきた。
 我こそは、と思うものが、参加し始めて、演芸大会の様相を呈してきた。

 終いには、洞に横付けする形で大きな岩を持ってきて、巨大な舞台が用意された。
 さらに別の岩も運ばれ、観客席が作られる。

 この頃になると、演芸場への出場権は、抽選となっていた。
 神界のみならず、仙人界からも参加者が押し寄せていたのだ。

 「華麗な演出で、必ず、太公望君を引っ張り出してみせるよ」
と、豪語した趙公明だったが、くじ運はなく、今回ようやく、妹たちの暗躍により、出場権を得たのだった。

 その趙公明の演出で、三姉妹が華麗に白鳥の舞を、舞台狭しと繰り広げる最中、洞の周囲に張られた結界が消えたのだ。

 真っ先に、武吉と四不象が洞の入り口を叩き始めた。
 さらに、趙公明も楽団を指揮して、華麗に太鼓を鳴らし始めた。


 そして、皆が見守る中、ひょっこりと普賢が顔をだしたのである。


 「えーと、そういうわけで、今日の出し物は、趙公明さんの演出による、雲霄三姉妹の『白鳥の湖』なんです」
 「それで、普賢さん、ご主人はどこッスか?」

 「えーと、ごめん。望ちゃん、また出かけちゃった」

 実に申し訳なさそうに言う普賢だったが、皆から激しいブーイングが起こる。
 「なんで、そのまま行かせちゃうのよ」
とか、
 「一言ぐらい、連絡しろ」
などであった。

 四不象からも
「普賢さん、ご主人が来ているなら、連絡ぐらい欲しかったッス」
と、悲しそうに言われて、申し訳ない気持ちで一杯になる。
 みんな太公望を心配してくれているのだから。

 「ごめんなさい。知らせようと思ったんだけど、望ちゃんがする暇をくれなくて」
 「そんな、10年間、ちょっとの暇もなかったッスか?」

 「え? 10年?」
あわてて太極符印を見やると、確かに10年近い歳月が流れている。
 「本当、そんなに経っているんだ」

 ちょっと呆然としていると、外野から声がかかった。
「10年も閉じこもって何やってたんだよ!」
それに別の声が聞こえる。
 「野暮、言うんじゃねぇ。決まってんだろーが!」
 「連絡する暇も無く、かい? けっ!」

 そう言われて見ると、普賢の頭のわっかは、前にも増して、つやつやしているし、のぞいた鎖骨から、王天君の寄生ダニの印が見える。

 「うわー、太公望の奴、これ見よがしに痕残してってるじゃない」
 「何のこと、蟬玉ちゃん?」
 「肩よ、肩。鎖骨の所、それ、王天君のダニでしょ。大丈夫? 具合悪くない?」
 「え? あ、気づかなかった。望ちゃん、やけにここばっかり吸うと思っていたけど、こんな事していたんだ」

 なんだか、会話の方向が怪しくなってきた。少なくとも、武吉や四不象に聞かせてはならん、と良識のある人々は考え始めた。

 良識派の代表として、燃燈が声をかけた。
 「それで、王奕は、何か言っていなかったのか?」
 「ごめんなさい、大したことはなにも・・・」

 そう言いかけて、改めて気づいた。
 太公望は、何をしに来たんだろう。
 自分と閨をともにするためだけに来たんだろうか。

 だとしても、何故、今?

 普賢は、太公望はやがて皆の前に姿を現す、と思っていた。もし、完全に行方をくらませたいなら、周王室の人々の前に現れる必要はない。
 今は会えないけど、忘れないでくれ、という太公望の意志表示だと思っていた。

 だから、いずれ姿を現すと。
 人間界への干渉を嫌っていたから、深く関わった今の世代がいなくなるまで、おそらく人間の世代にして、2世代、少なくとも1世代、経るまでは、姿を隠す気では、ないかと。
 それも確信があったわけではない。
 きっとまだ、その時では無い。だから、現れない。今はまだ。そう思って、消息不明に耐えていたのだ。


 それが、二年という存外短い時間で、自分の元を訪れた。
 そして、10年という歳月を篭もって過ごしたのだ。

 解け合っていた間に感じた細かいことは思い出せないが、太公望はやけに周王室を気にしていた。

 「この十年の間に、何か、変わったことはありました? 特に周王室の皆さんはいかがですか?」

 「周王室・・・は、特に変わりないです」
武吉が元気よく答えた。
 「この間、姫発さんと邑姜ちゃんの間に、四人目のお子さんが生まれました。初めての女の子で、みんなメロメロです。姫発さんなんか、うちのプリンちゃんに近づくものは、おれの目の黒いうちは許さん、って叫んでましたよ」

「そうッス。姫発さんも最近はかなり元気になって、寝込むことなくなったッス」

 「ふーん、そうなんだ」
 僕の勘違いかな。

 何かから逃げたくて、つい干渉してしまいたくなる誘惑から逃れたくて、僕の所に来たのかと思ったんだけど。
 それでも良かったのに、何にも言わないんだもん。
 今度来たときは、ちゃんと話をしようね、望ちゃん。

 「あー、それにしても、あの桃の話は、感動的だよな」
 普賢の物思いを余所に、皆は別の話題で盛り上がり始めた。

 「何? 桃の話って」

 「あのですね。10年ほど前、姫発さんの具合が、ものすごく悪くなった時があったんです。都を移した後、疲れたのか、殷と戦ったときの傷が悪化して」

 姫発の意識がなくなり、いよいよ駄目かと思ったとき、桃が献上されてきた。
 巨大な桃で、何でも、その二年ほど前仙人様が育てた桃の木から、今年とれたものだという。

 桃としてはあまりに巨大で、味のほどには疑いがあったが、少しでも体に良いものをと言うことで、寝付いている発の寝所に、その桃が運び込まれた。

 桃が運び込まれた瞬間、姫発が目をあけた。
 驚く邑姜たちに
「桃が食いてぇ」
とつぶやいた。
 急いでその巨大な桃に太刀を入れ、姫発の口に運んでやる。
 しばらく何も口にできないでいた姫発がそれを上手そうに一口食べた。もう一口、もう一口。

「ああ、美味かった」
そう一言いうと、再び意識を失った。
 もはやこれまでか、と思った邑姜が、あなた、と夫に顔を寄せると、意外なことに整った寝息が聞こえる。先ほどまでの苦しげな呼吸とはまるで違った。
 血色もいい。

 周王室首脳陣は、顔を見合わせた。

 「俺が行ってくる!」

 そう言って、飛び出したのは、南宮适で、早馬を仕立てて、その桃の産地まで向かっていった。

 通常なら、一ヶ月かかる道筋を10日余りで、駆けたのは立派だったが、これでは、戻るのにまた10日かかってしまう。姫発の命は、それまで保つであろうか。いかにあの桃が巨大とはいえ、所詮桃だ。姫発の病を治すのに、一つで十分とは思えない。
 なんとか、次の桃を持って行かねば。

 姫発本人に対する思慕の念とは別に、今、姫発が斃れたら、戦が再び始まるのが目に見えていたからだ。殷の勢力は全て失われた訳ではないのだ。姫発を失えば、反対勢力の勢いづく。戦乱の世に逆戻りである。
 
 間に合うのか?
 馬は所々の関所で変えてもらったが、それでも夜は歩みを弛めざるを得ない。

 桃の産地に着いて、事情を説明すると、快くその年最後の桃を譲ってもらえた。
 さぁ、帰りだ。急ぐぞ、と思う南宮适の前に信じられないような光景が広がっていた。

 松明の灯りだった。邑という邑、町という町から、人が出て松明を持ち、道を照らしてくれているのだ。田舎の間道にまで、灯りがともされていた。
 もちろん、郡の領主の采配で動員された兵士もいた。
 だが、灯りの多くは、人々の自発的な意志で灯されたものだった。

 行きの南宮适の旅で事情を知った人々が、姫発のために、と灯した松明だった。

 姫発の生存とそれに続く平和な統治を願って、灯されたのだ。
 
 その光景に涙しそうになるのをこらえ、都への道を上る南宮适に次々と替えの馬が用意される。
 
 南宮适が馬を走らせたまま、飲食できるようにと、にぎり飯と水を持って、併走してくれた者も一人や二人ではなかった。
 
 通常は一ヶ月かかる道程を、帰りはなんと、三日で駆け抜けた。
 南宮适が、王宮に戻ったとき、最初の桃が無くなった所だった。
 姫発は、寝台の上で座れるまでに回復していた。

 南宮适のもたらした二つめの桃を食べ終わる頃、姫発は床を離れたのだ。


 「あの後ってのが、いいよな、これまた」
 「そうそう」

 姫発の命を救った桃の産地は、周王室の直轄地となった。
 薬桃を独占する気か! と、憤る声もあったが、翌年、そこで実った桃は、周王室が全て買い上げ、周に所属する全ての郡へ配られた。
 王宮と王都には、それぞれ一個の桃が割り当てられた。
 姫発と邑姜。王と后が、ほんの一かけ食した後、皆に配られた。

 桃の形では、長持ちせぬと、その翌年からは、酒に漬け込み、より多くの人の口に入るようにした。

 さらに、桃の苗や種をわけ、各地で栽培することを奨励した。

 多くの人に恵みを分けつつ、周は豊かな慈愛に満ちた国家として、建国の揺籃期を乗り越えつつあった。
 おそらく姫発の息子に代が変わる頃には、さらに安定した豊かな治世となることだろう。


 その話を聞いて、人間界が良い方向に進んでいるのを知る。
 望ちゃんの知っていた、歴史の道標はどんなだったのかな。

 これと同じ? それとも違っていたの?

 きっと、教えてはくれないけれど、標無き世界を共に歩いていきたい。


 「さぁ、みんな薬桃の話もいいけれど、僕の舞台を再開してもいいだろうか?」
 いいだろうかと、とたずねながら、既に指揮棒をふるって音楽を再開している趙公明だった。

 舞台の上では、ビーナスが
「私というものがありながら」
と、よよよ、と激しく泣き崩れている。どすんどすんと床を叩くたびに、舞台を支える岩が崩れ落ちそうだ。

それに、趙公明が
「ビーナス、妻の座にあぐらをかいてはいけないということだよ。英雄、色を好むというではないか。女の魅力を磨いて、太公望を振り向かせるのさ。さ、踊って、きっとその踊りで、太公望もいちころさ」

 「そうでしょうか。お兄様。ええ、きっと、太公望様のお心を取り戻して見せますわ。負けませんことよ」

 そういうと、バッチーンと激しいウインクを普賢の方に送ってきた。
 「はい、よろしくお願いします。」
 丁寧にお辞儀を返す普賢に、
「その言や、潔し。我がライバルとしてふさわしいですわ」

 と、盛り上がりながら、一層激しく脚を上げて踊り始めた。

 その様子に、楽しそうな人だなぁ、と思う。


 仙人界と神界が、ごっちゃになっているけどこれでいいのかもしれない。

 ぐおー、ぐおーと懐いてくる烏文化の頭を優しく撫でてやりながら、武吉と四不象の席に混ぜてもらい、再開された舞台を眺める。

 いろんな人とお話できそう。楽しみだなぁ。




 望ちゃんも早く来たらいいのに。



                   <終>